「ブッポウソウ」と啼くコノハズクが確認された。

<b><center>御神木の杉。</b><br>
樹高31m、目通り幹囲7m。<br>
市指定天然記念物。</center>
御神木の杉。 樹高31m、目通り幹囲7m。 市指定天然記念物。
<b><center>神座山林道ゲート</b></center><br>
国道137号線から神座山林道へと進入するとゲートが見えてくる。
ここから少し険しい道程となる。神社まで車でゆっくり進んでおよそ10分ほど、春には九十九に折れる道中で枝垂桜が満開となる幻の花見名所。冬は路面凍結のため通行不可となる。
神座山林道ゲート 国道137号線から神座山林道へと進入するとゲートが見えてくる。 ここから少し険しい道程となる。神社まで車でゆっくり進んでおよそ10分ほど、春には九十九に折れる道中で枝垂桜が満開となる幻の花見名所。冬は路面凍結のため通行不可となる。
<b><center>山梨百名山の登山口</center></b><br>トレッキングコースの登山口になっており、大栃山、釈迦ヶ岳といった地元では“神座山”と称される聖徳太子が甲斐の黒駒で駆けたとされる伝説の地でもある。
山梨百名山の登山口トレッキングコースの登山口になっており、大栃山、釈迦ヶ岳といった地元では“神座山”と称される聖徳太子が甲斐の黒駒で駆けたとされる伝説の地でもある。

「ブッポウソウ」と啼くコノハズクが確認された。

檜峯神社

 御坂町上黒駒、国道137号線から桃畑を通り過ぎ、神座山林道という林道へと入り、およそ3kmほど進むと檜峯神社へとたどり着く。「檜峯」の名のとおり、辺りをヒノキ林に囲まれ標高1,090mと山間部に位置する。
昭和10年、県文化財委員中村幸雄氏により、「ブッポウソウ」と啼くコノハズクが確認された地として有名。また市町村合併前から御坂町のマスコットとしてコノハズクをモデルにコノハッピーの愛称で親しまれ町内のあちこちで見られる。
トレッキングコースの出発地点としても有名。山梨百名山の大栃山や釈迦ヶ岳がここから楽しむことができます。大栃山は初級者向け、釈迦ヶ岳は、黒打の頭経由で上る健脚向けコースとしておすすめです。後者は富士山を望むポイントあり。

INFO基本情報

名称 檜峯神社
(ヒミネジンジャ)
住所 〒406-0813 山梨県笛吹市御坂町上黒駒5738 アクセス
文化財 ◎県指定天然記念物
コノハズク生息地
◎市指定文化財
小澤一仙の竜の彫刻、甲陽一徳斉藤原助則薙刀
◎市指定天然記念物
大スギ
林道情報 市営神座山林道(笛吹市HP)

MAP&ACCESSアクセス


小澤 一仙(1830~1868) 

優れた宮大工としての腕があり、ここ檜峯神社に龍の彫刻をのこした
小澤一仙小澤一仙とは一体どんな人物だったのでしょうか?

伊豆国(現在の静岡県)、宮大工・石田半兵衛の長男として生まれる。
 父親譲りの腕で宮大工として暮らしていたが、掛川藩で造船、京へ上りのち、
加賀藩で運河建設を計画するも大政奉還を機に藩から打ち切られ・・・と甲州黒駒村へと移り住んだ。
江戸時代幕末の動乱期、赤報隊・相楽総三に代表される
草莽と呼ばれる数多の陽の目を浴びない志士がいた。
小澤一仙もそんななかの一人でした。

赤報隊は薩摩藩や公家・岩倉具視らの支援を受け、
官軍として年貢半減令など掲げ窮民保護活動していましたが、
多くの草莽隊は俄官軍ではあったが同じく窮民保護活動を行っていた。
一仙も同様に雅楽之助と名を改め、
公家・高松実村を隊長とし高松隊で窮民保護活動を甲州にて行っていた。

しかし戊辰戦争の後、新政府は財政的に年貢半減政策は不可能と判断し、
赤報隊をはじめ年貢半減令を”言い触れていた”草莽隊を偽官軍として弾圧し、
一斉に斬首に処した。
一仙も例外ではなく山崎刑場(現在の甲府市酒折)にて処刑された。



市指定天然記念物・御神木の大杉

樹高31.0m、目通り幹囲7.0m
自然の持つ生命力と神々しいまでの雄大なその姿は一見の価値あり。

檜峰神社の大杉